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ビールの歴史(12~16世紀頃)
12世紀になると、修道士が修道院でビールを作る理由は、彼ら自身のためだけではなく、当時おびただしい数の巡礼者や放浪者が修道院を訪れ、食事やビールの施しを求めて来たため、それに応じる必要があった。
1日200人にのぼることも稀ではなく、修道院によっては年間1万人位を迎え入れたとの記録が残っているくらいです。
ビールのことを「液体のパン」ともいうが、これは修道院で厳しい断食をしていた時、たまたま見つけた教会の古文書に、「液体を摂取することは断食に違反しない」との文献を発見したことが始まり。
「液体」をビールと解釈し、断食の時期に栄養価とアルコール度数の高いビールを「生命の水」「活力の源」として栄養補給に使った。
16世紀に宗教改革を行った「ルター」もビールが好きで、この「強いビール」を飲みながら改革を断行したと言われている。
修道僧の集まりは頭脳集団であり、ビール醸造技術者の養成機関でもあった。
古文書から得られるビール作りの技術を体系化、師から弟子へと秘訣を伝授し、試行錯誤を重ねながら質を高めて行った。
その結果、一般とは格の違うビールが出来上がり、修道院ビールは世間でも評判になった。
そのビールは、市場で高価に取引され、修道院の貴重な財産となる。
後にこれらの醸造技術は、修道層から手工業者へ伝えられていく。
また、15~16世紀には、まったく新しい醸造法が生まれドイツを中心に広がって行く。低温で発酵・貯酒するこの醸造法のビールは、9月から4月の気温の低い期間のみ醸造され、スッキリして飲みやすいのが特徴で、現在では下面発酵ビールと呼ばれている。
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